実を言うと、私は大層な人見知りである。
俗に言う「コミュ症」だとかそういった類よりか、ただひたすらに「恥ずかしい」「知らない人と話すとドキドキするから苦手」「急に変な事言ってしまったり失礼だと思われたく無い」といった、自意識過剰が故の人見知りである。
加えて、信頼関係を作るというのも不得手である。何かしら上手くいかない事が多いのだ。
悲しいたるや私も人間。
人間は生きるためにお金が必要である。石オノを使った狩猟を捨てた先には労働を用いて食い物を得るしか生きる道はない。
私も例に漏れず、日々の尊厳のため労働を嗜んでいる。
労働を嗜む上で、同僚、邪智(上司)、部下と円滑なコミュニケーションを育む必要がある。曰く、仕事以外にも、仕事を進める上での職場雰囲気というのは大事なものらしい。
以前こんな事があったのを思い出す。
ある夏の日、私は敬愛する漫画家である松本大洋氏(ピンポン、鉄コン筋クリート、花男、Sunny等)のTシャツをめかしこみ、会社に従事していた。
部下の1人が「あっ、もしかして松本大洋ですか?好きなんですよ〜」と口走った。
私の中のコミュニケーションは弾け飛んだ。「ワァ!理解者がいた!」という事しか考えられなくなった獣と化した私は全てを置き去りにして四つん這いのまま這い出した。
「アッ、ソウソウ…マツモトタイヨウイイヨネェ!ズットスキデサァ、フフッ…アッ!、アノースキナサクヒン…ソノ、ウンクワシクハナイノカ…ソレナラヤッパリ「ピンポン」トカ…タンペンナラ「アオイハル」モアルナア…エイガニモナッタ……アッ!アッ!ヤッパリ〜サイキンノ「サニー」モケショクガチガッテ…ウンイイヨネェ…ウン…オススメトカ…ウン…」
「そうなんですね」
私は何かしたのであろうか。
同族を見つけた人々は集落をつくるように。
まるで磁石には無条件に砂鉄が集まるものではないのだろうか。
どうして獣を見るような目で見るのか。
どうして屠殺前の憐れみを含む声色で返事をするのか。
その日を境に、「松本大洋」の話をする者はいなくなった。
あれから時間は経ち、
10月、秋。
1人の部下がビートルズの服を着て職務に臨んでいた。
「ウワァ!ビートルズじゃないか!ビートルズがやって来てるじゃないかァ!ヤァヤァヤァ!そういえば前KISSの服も着てたナァ…」
思考が獣と化した。
しかしながら冒頭も話したように、私は石オノを捨てた人間。
歴史からこれからを学ぶから人間なのである。
KISSの服を着てきた時に「ポールスタンレ-!」と話しかける事もなく冷静にここまで様子を見た。
これは確実に仲間であると判断するに時間はかからなかった。
さて、進化には試練がつきものだ。
人見知りと紹介にあずかった私が「ビートルズ、いいね!」と話しかける事はあまりにも困難であった。
自意識過剰であるから、自分から話しかけては駄目だという強迫観念があるのだ。
向こうから「あっ、テンパーだしバンT着てたからビートルズ知ってるかも…すみませーん」と言ったふうに進まなければ許せないのだ。
なんとかならないものか。そう考えていた矢先である。
時は経ち、業務は終了を告げた。従業員達は皆それぞれの時間に向け退勤をする。
終業チャイムと共にビートルズはやって来た。
勤怠の証にハンコをもらう必要があるからだ、獣の私に。
もう失敗するな。
頭の中で反省を書き起こし、反芻する。
進化する為に。自分に革命を起こすために。
○相手の意を考えず、ひたすら話すのはやめましょう→かしこまりました。
○序盤、中盤、終盤が大事。まずは軽い入り口から始めよう。→大丈夫、問題ないです。
○それでいて、少しでも芯に刺さるような話しかけ方が良いのではないか?名作とされる文豪の綴った冒頭のような→
朝、食堂で一さじ…いや、飲んでない、トンネルを越えるとそこは…いや、どうしよう。
シンプルかつディープにまとめたい。思考を早めろ。オンソクコウソク!モットハヤク!
間髪入れずにビートルズはやって来た。
こうなればレットイットビーだな。
私はハンコを取り出した。
ここからは主観無しで、なるべく写実的な文章を綴ることにする。
何故なら、ここからの展開にエンターテイメント性はいらないと判断したからだ。
「お疲れ様です。ハンコ、お願いします。」
「ストロベリーフィールズフォーエバー…」
「えっ?」
「アッ…ビートルズキテルカラ、スキナノカナトオモッテ…イイヨネ、ポールマッカートニー…」
「あっこれ可愛いから着てるんです。ありがとうございます。お疲れ様です。」
「アッ、オツカレサマデスー」
何がいけなかったのだろうか。
私の中の最適解はストロベリーフィールズフォーエバーだったのだ。
少しでも仲間が増えて、ストロベリーな職場(フィールズ)がフォーエバーなら良いなぁと思っただけなのだ。
「えっ?もしかしてビートルズ好きなんですか⁈」
「フフ…カムトゥギャザー……シュッ…」
的な展開までは予測していたのだ。
私は何を間違えたのか。
帰り道の電車の中、
私は今も這いつくばっている。
押してあげたハンコは綺麗な赤色をしていた。
もう、ビートルズの話はしないだろう。
あまりにも鮮やかな事実を映し出した赤色。
そう、ビートルズが聴けなくなっても。
それでも奴らはやって来る。
「お前さんは反省の向きが違うんだよなあ」
「はあ…」
「次はしくじるんじゃねえぞ…」
「わかってらァ!…次来た時の文句はもう考えてあるんだ!俺も反省してんだよ…」
「ほうほう」
「要するに自分で全部解決しようと思ったからダメなんだ!素直に1人で考えすぎず、周りにも協力することが大事だってなぁ…次同じ事があったらよぉ、
『ヘルプ!』って叫んでやるよ!助けてもらえるようになァ!」
さよなら、
ボンド。
追記
『ヘルプ』はビートルズの曲名です。
オチは考えましょう。
私は助けませんよ。